風立ちぬ|菜穂子の最後は死ぬのか?エンディングに答えが!堀越二郎がタバコを吸う理由は?

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風立ちぬでは菜穂子がその後どうなったかを詳しく描かれていません。

そのため菜穂子が生きているのか、それともなくなっているのか分からないという方がいらっしゃいます。

ただ、その答えはエンディングが語ってくれていると思いますので、そのことを解説していきたいと思います。

また、衝撃的だったのは結核を患っている菜穂子の横で吸う二郎

今では考えられませんよね。

でも、どうして吸う必要があったのか?その点も見ていきたいと思います。

目次
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風立ちぬ|菜穂子の最後は死ぬのか?

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結論から述べると、菜穂子は、亡くなっていると考えられます。

しかしながら、明確に菜穂子が亡くなるシーンが描写されているわけではないため、100%断定することはできません。

ではなぜ、菜穂子は亡くなったと考えることができるのか?

それは風立ちぬの終盤のシーンに根拠があります。

そのシーンとは、菜穂子が夫である堀越二郎に空から「生きて」と語りかけ、消えていくシーンです。

「生きて」と空から語りかける、そして消えていく、この3つから考えると菜穂子は亡くなってしまったと考えられます。

また、作品中盤には吐血しながら倒れ込む菜穂子の描写があります。

このシーンから、明らかに菜穂子に病魔の手が及んでいることが推測できます。

また、ネット上の考察には、敢えて息絶えるシーンを描写しなかったとの声もあります。

菜穂子は吐血していたことから、当時は不治の病として考えられていた結核を患っていたと考えることができます。

結核を発症してしまうと、長く生きることは難しくほぼ確実に命を落としてしまいます。

そのような設定でありながら、菜穂子が息絶えるシーンを描写することはナンセンスということで、敢えてそのシーンは描写しなかったという考察です。

この考えは、おそらくスタジオジブリ製作陣の意図とほぼ一致しているのではないかと思います。

先ほど紹介した通り、これらはあくまで推測であるため何とも言えませんが、もし、風立ちぬをご覧になったことがない方は1度鑑賞してみてはいかがでしょうか。

素晴らしい映画であるため、鑑賞する価値は十分あるかと思います。

菜穂子のセリフが絵コンテ時と変わっている!?

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また、菜穂子のセリフですが絵コンテ時と映画版では変わっています。

【絵コンテ版】

菜穂子「あなた、来て」

カプローニ「君のために祈っていたんだ」

菜穂子「きて……」

【映画版】

カプローニ「ここで君が来るのをずっと待っていた。」←菜穂子の事

菜穂子「あなた、生きて」

菜穂子「生きて……」

二郎「ありがとう。ありがとう。」

カプローニ「君は生きねばならん。その前にちょっと寄って行かないか。いいワインがあるんだ。」

となっています。

絵コンテ版だと菜穂子は死後の世界で、二郎を誘っているという感じになりますね。

なので夢の中という設定。

この死後の世界=夢の中というのは紅の豚でもでてきました。

そのため、その世界の住人になっている菜穂子はすでになくなっていると推測できます。

風立ちぬ|菜穂子の最後は死ぬのか?エンディングに答えが!

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先ほど紹介したように、菜穂子はなくなっていると推測して間違いないかと思います。

ちなみに、菜穂子が空から堀越二郎に「生きて」と語りかけた後、テーマソングである「ひこうき雲」が流れます。

こちらの歌詞の一部をご覧ください。

空に憧れて 空をかけてゆく

あの子の命はひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も

空を見ていたの 今はわからない

他の人にはわからない

あまりにも若すぎたと

こちらは、サビ以降の一部の歌詞になります。

「あの子は死ぬ前も」「あまりにも若すぎた」これらの言葉から分かるように、この曲のテーマとなった方は若くして既に亡くなっていることがわかります。

そして、この曲のテーマとなった方こそ菜穂子である可能性が高いことがわかります。

作品の解釈には、間違いなく正しい答えがある訳ではありませんし、ひこうき雲という曲のテーマとなった方が菜穂子さんであると確実に断定することもできません。

人それぞれ様々な解釈があることでしょうし、先ほども述べましたが、1度風立ちぬをご覧になり、どのような作品であるか自分なりに考察してみてはいかがでしょうか。

スタジオジブリ作品の中でも一際、愛に溢れる作品となっていますし、老若男女楽しむことができる作品となっています。

是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

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風立ちぬ|菜穂子の横で堀越二郎がタバコを吸う理由は?(二郎側)

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二郎側からは菜穂子の横で堀越二郎がタバコを吸う理由は特にないかと思います。

言うなれば、単純に吸いたかったからでしょう。

堀越二郎が生きていた当時の日本は、男性の喫煙率が80%を超えていたそうです。

つまり、世の中の男性の大半が喫煙者であるということになります。

電車や自宅、飲食店などに灰皿が設置されており?基本的にはどこでも吸うことができました。

そのため、現代人がガムを噛むような感覚で堀越二郎も吸っていたとも考えられます。

ただ、菜穂子は結核を患っていたと推測できるため、病人である菜穂子の目の前で吸うということはあまり良いことではないかと思います。

二郎が菜穂子の横で吸うことは、菜穂子の寿命を縮めると同等ですよね。

※当時は、タバコは身体に害をもたらすため、吸わない方が良いという感覚が浸透していなかったのかもしれません。

そのため、もし、タバコは健康的ではないという認識が広まっていれば、堀越二郎も病人である菜穂子の目の前でタバコを吸うということは無かったのではないでしょうか。

風立ちぬ|菜穂子の横で堀越二郎がタバコを吸う理由は?(菜穂子側)

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ただ、違う見方もできます。

この場面、二郎は仕事が進んでいるので吸いたくなっています。

そのため、つないでいる手をほどき、吸ってもいいか?と菜穂子に聞くと、「ダメ」と答えます。

ほとんど二郎の言うことを否定しない菜穂子が珍しくダメというので、二郎は仕方なく片手で吸います。

手をつないだまま。

このシーンは、自分の残りの寿命を悟っている菜穂子が、手をつないでいることによって自分の命(力)を二郎に送っていると思っているので手をつなぐということが菜穂子にとっては大切だったという解釈もできます。

そのことが重要なので、自分の横で二郎が数ぐらいどうってこと有りません。

また、菜穂子が命を懸けて自分を助けてくれたことを暗に言っている二郎のセリフがあります。

それは、

「菜穂子がいたらからできたんだ」

というセリフ。

考えすぎかもしれませんが、だからこそ、零戦が完成したのち、菜穂子が手伝えることがないのでサナトリウムに帰っていったと考えられます。

好きだから一緒にいたいのであれば、サナトリウムには帰らないかな。と。

なのでそれであれば仕事が上手くいって吸うのは零戦が完成に向かっていっているので菜穂子にとっても望むところだったため、結核を患っている菜穂子の隣で吸っていても菜穂子は何もいわなかったのではないでしょうか?

いずれにせよ、堀越二郎が菜穂子の目の前で吸うシーンは現代では考えられないシーンであり、当時の日本を象徴しているシーンでもあります。

このように、風立ちぬは当時の日本の生活をよく再現できている特徴もあります。

是非、ご覧になってみて下さい!

まとめ:風立ちぬ|菜穂子の最後は死ぬのか?エンディングに答えが!堀越二郎がタバコを吸う理由は?

今回は、「風立ちぬ」で菜穂子の最後がどうなったのかを推測&解説してみました。

まぁ、エンディングの曲の歌詞に答えはあったと思います。

また、現代だと非難のまとになる結核を患っている菜穂子の横で吸うシーン。

あれには二郎側の意図はそれほどないかもしれませんが、菜穂子側にとっては大事なシーンなので、自分の横で吸われるぐらい問題なかったのではないか?と考えられます。

また、今回の考察をするに至って

岡田斗司夫公式ブログと 岡田斗司夫 さんのユーチューブチャンネルを参考にさせていただきました。

もしご興味がある方はご覧になっていただき、 岡田斗司夫 さんのユーチューブチャンネルに「いいね」とチャンネル登録もよろしくお願いいたします。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

画像の引用元:https://www.ghibli.jp/works/kazetachinu/#frame

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